どーも、ハナセルです。
今日もハナセルブログを書いていきますよ。
まずは簡単な自己紹介から。
7歳から20歳頃まで重い吃音だった僕は、
やることは誰にでもできてシンプルだけど、真似するには努力と根性がいる方法
その方法で吃音を克服し、
好きなだけ話せるようになりました。
このブログでは、そんな僕が「 話せる(ハナセル)ようになる方法」 を吃音で悩んでいる人に伝えます。
今回のブログ記事のテーマは「吃音が原因でいじめられた経験から導き出した結論」についてです。
いじめを受けた経験は、心に大きな傷を残しますが、それが人生の転機となることもあります。
僕がそうでした。
僕は重度の吃音が原因でいじめを受け、辛い日々を過ごしていました。
そして、(特に吃音者が)社会で生き抜くためには「吃音であることを気にしない強靭な精神力」もしくは「吃音を改善すること」のどちらかを選ばざるを得ないという結論に至りました。
この二択に迫られた私は、「吃音を改善して自分で未来を切り開く覚悟」を決めました。
この記事では、僕の吃音いじめ体験記のセルフレビューとして、「吃音を改善して自分で未来を切り開く覚悟に至る過程」を深堀ります。
- 吃音に悩んでいる老若男女全ての人。
- 将来を想定して、長期的な視野で吃音を克服したい人(お子さんやその両親の方々)。
- 吃音者が厳しい社会を生きていくために必要なことが知りたい人。
重度の吃音だった過去の自分の状況を振り返る
ここでは、全4回にわたる「重度の吃音が原因でいじめられた僕の体験記」を振り返ります。
まだ読んでいない人は下の記事を読んでみてください ▼
吃音が発症した小学生~中学生時代
僕が最初に吃音の兆候を感じたのは、小学校の1年生の頃でした(自覚したのが1年生。もしかしたそれ以前も吃音だったのかもしれません)。
発症以降、言葉がうまく出てこず、思い通りに話せないことに対する焦り・苛立ち・不安を、幼いながらにも強く感じていました。
クラスメイトはというと、僕が言葉が詰まる度に大きな声で笑い、時には誇張しすぎな真似(特に大袈裟な随伴運動)をして嘲笑いました。
中学校に進学してもその状況は全く変わりませんでした。
その時期の僕は、「一日一日をどうやってやり過ごそうか」と考えるだけで、学校生活はただのサバイバルでした。
自分なりに「絶対に吃音を克服してやる」と考え始めたのは9歳の頃からです。
吃音を改善するための訓練を始めたのは9歳の頃
⇨ 吃音いじめ体験記【第1話】はこちら
当然、すぐに吃音が改善することはなく、訓練を始めた頃は「何をやっても無駄だ。意味がない」と感じることが多かったです。
計画的ないじめを受けた高校生時代
高校生になってもたくさんのいじめを受けましたが、高校生時代のいじめの記憶は「ある一つのエピソード」だけで頭の中がいっぱいです。
クラス委員長選挙のエピソード
⇨ 吃音いじめ体験記【第3話】はこちら
そのいじめは計画的なもので、僕がクラス委員長には絶対になりたくないという気持ちを知ってか、もしくは単に面白がってか、大半が僕に投票して強制的にクラス委員長にするという形で私を追い詰めました。
※クラスメイト全員ではありません。語弊がないように念のため伝えておきます
その時の僕はただ耐え忍ぶことしかできませんでした。

逃げること(登校拒否)もできたはずですが、僕は高校に通い続けました。
(「逃げることが良かったのか or 悪かったのか」の話ではありません)
小学生時代から通して言えること、それは、学校という場は本来であれば安心して楽しく過ごせる場所であるべきなのに、僕にとっては戦場だったということです(何かしらのいじめを受けていた人は皆そう思っていたのでは)。
教室に入る度に感じる緊張感と異常な視線、授業中に先生から指名されることに対する強い恐怖は、今でも鮮明に覚えています。
特に発表や音読の時間は、僕にとっては地獄のようなものでした。
自分が話すことでまた笑われるのではないか、いじめが激化するのではないかという不安が常に頭を支配していました。

生きていくための二択「強いメンタルを持つ or 吃音の克服」
いじめが続く中でも、生きていく術を考える時期がいつかやってくる
その当時のことは、今振り返っても言葉に表すのが難しいほど辛いものでした。
いじめられるたびに、なぜ自分だけがこんなにも苦しまなければならないのかと考えてばかりでした。
学校に行くたびに、クラスメイトからの冷たい視線や嘲笑が待っていることを恐れ、心の中で叫びたい気持ちをひたすら我慢するしかありませんでした。
また、吃音が原因で、自分の意見をうまく伝えられない悔しさや、それがさらなるいじめの材料にされる苦しさも感じていました。

「お前の反論する時の言い方が生意気だったんじゃないか」と、言う人がいるかもしれませんが、そもそも上手く話せないので反論すらしませんでした(反論できない)。
当時の僕がもし反論しても何を言っているか理解できなかったんじゃないでしょうか。
そんな毎日の中、高校3年生の頃に僕に転機が訪れます。
きっかけは、生まれつき手足がなく電動車椅子で生活をしている男子大学生の本です。
その本とは、今となってはおもしろおじさんの印象が強くなった乙武洋匡さんが書いた『五体不満足』です。

今となっては印象があれなイケおじですけど、当時の乙武さんは正真正銘イケメンの好青年だったんですよww
この本がきっかけで、僕は「自分自身を苦しめていたのは、他人の言葉や行動ではなく、それを気にする自分自身だったのかもしれない」と思うようになり、また、それとは逆の思考として、「いつか絶対に話せるようになるんだ」という小さな希望も芽生えました。
毎日が辛く、将来に対する不安と、どうしても消えない劣等感を抱える中で、その微かな希望のおかげで僕は生きていられたのかもしれません。
いじめが続く中で、厳しい現実をどう生きていくべきかを真剣に考えるようにもなりました。
その結果、僕は二つの選択肢にたどり着きました。
- 強靭なメンタルを持ち、吃音のまま生き抜く覚悟を決めること。
(「伝えること」を重要視する吃音者界隈での主流の考え方) - 吃音を克服することに全力を注ぐ。
という二択です。
吃音のまま生きることを選んだ場合は「それ相応の覚悟が必要」
吃音の改善方法としてよく言われるには、
- 「自分の気の持ちようだよ。」
- 「吃音でも、自分らしく生きていけばいいんだよ。」
- 「周りの人は、いつか理解してくれるよ。」
等です。つまり、メンタルを鍛えることを勧められます。
ですが、当時の僕はそのような考え方はなく、当然、大人になった今でも、「メンタルが大事」という考え方ではありません。
なので、もしも吃音の人にどうしたらいいか尋ねられたら、
「絶対に吃音を改善する努力をした方がいい。少しでも軽くなるような努力をした方がいい。」
と答えます。
僕が吃音だと自覚していたのは「7~20歳くらい」までで、一番症状が重かったのは中学2年生~高校1年生くらいです(14歳~17歳頃の約4年間が最もひどい状況だった)。
吃音は子どもの頃に改善が見られないと、それ以降も吃音のままの可能性が高いと言われますが、僕は20歳くらいを境にして、吃音を自覚していないし、また、吃音ではない人が今の僕が話している姿を見て「僕が吃音者だった」ということには気付けないと思います(吃音者なら気付くかもしれませんが)。
ちなみに、先日お亡くなりになった元アナウンサーの小倉智昭さんもまた吃音者だったようですが、2021年3月末までフジテレビで生放送されていた「情報プレゼンター とくダネ!」での司会の様子を見て、果たして番組の視聴者は「この人(小倉さん)は吃音だ」と瞬時に気付けるできるでしょうか。
小倉さんは過去のインタビューで「番組外ではどもることが多い」と言っていますが、「(過酷なアナウンスの練習をこなした)しゃべりがうまい人の会話レベル」と「一般人の会話レベル」は比較できません。
小倉さんは、自身が100語を話す間に2~3語だけ噛んだりどもる場合でも、「どもりが多い」と自己評価するかもしれません。
いずれにしても、僕は、小倉さんは「吃音を克服した人」だと思っています。
吃音ではない人とのガチンコ勝負で勝つことを期待してはいけない
吃音者だろうとそうでなかろうと、企業に勤めている人なら、「世の中(大人の社会)、そう甘くない」ということが分かると思います。
吃音のまま大人になり、就職活動(アルバイト面接を含む)の中で吃音でない人との勝負になった際に、自分と能力が同じくらいの人に勝てる可能性は極めて低い(0%ではない)という覚悟はしておいた方がいい。
※障害者雇用のことではなく一般雇用の範囲でのことです。
僕が言うのはそういう覚悟のことです。
気の持ちようで何とかしようとする際の「代償」だと僕は考えています。
「能力がない人」が「能力がある人」に勝てない理屈と同じで、不平等だとは思っていません(不公平という言葉でなく、あえて「不平等」という言葉を使っています)。
「吃音者は仕事に就けない」と言っているのではありません。
勝負の舞台から自分と能力が同じくらいの人がいなくなるように、選ぶ企業のレベルを1段階下げるか、あるいは、自分自身のレベルを1段階上げるかすればいいと思います。
実際に、そのようにして仕事を決めた人は多いと思います。

例えば、「自分は吃音だから、人一倍努力して他の人よりもスキルを付けて良い会社に就職するぞ」や「自分は吃音だから、行きたい会社は諦めて少しレべルを下げた会社に就職することにしよう」という考えですね。
吃音者が仕事探しする時の盲点をまとめた記事があるので気になる人はチェックしてみてください ▼
「吃音でもいいじゃないか」という考え方は否定しません。
むしろ、僕もそうあるべきだと思っていますが、悲しいかな、世の中は理想論だけでは生きていけません。いつかそんな社会が実現するかもしれませんが・・・。
真に吃音を受け止めて、本当の意味で吃音を改善する一歩を踏み出すべきだと思います。

吃音で悩んでいる人へ:「努力を続ければ話せるようになります」
過去の自分を振り返ると、その時の苦しみが僕を強くし、かつ、今の僕を形成した大きな要素だったと思っています。
吃音を克服するために地道に努力を続けてきたことが、今の僕の自信と誇りの源です。
しかし、あの苦しい体験があったからこそ、今の自分がいます。
この吃音いじめ体験記のセルフレビューが、同じような悩みを抱える方々にとって少しでも役立つものであれば幸いです。
ハナセルブログでは、今後も、
- 長期的な視野で吃音を克服する方法
- その場の吃音を避ける方法
- 職場や日常生活での具体的な対処法
- 仕事探しのコツ
など、幅広く紹介していきます。
吃音に悩む方々にとって、このブログが少しでも役立ち、前向きに生活を送るための助けになることを願っています。
吃音は一人で抱え込む必要はありません。適切な対策とサポートを受けながら、共に克服していきましょう。
最後までブログを読んでくれてありがとうございました。
次に会うときは上手に「ハナセル」ようになっていることを願っています。
それでは、また次回お会いしましょう。
Thank you, Bye ! ( ᵕᴗᵕ )
「吃音の治し方」について、詳細を知りたい人は以下の記事を読んでみてください ▼
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